映画「バディ・ホリー物語」

アポロ劇場での最後の一曲

白人である彼の R&R が黒人たちに受け入れられた瞬間

ニューヨーク ‘APOLLO THEATER’

白人、黒人という言い方はよくないね

きちんと

アフリカ系アメリカ人にとって、アポロシアターという場所は「教会」みたいなものだ

そして、

BLUES, R&B, R&R は彼らの信仰に他ならない

そんな場所で演奏し、オーディエンスをこれだけ沸かしたのだ

涙なくしては観ることのできない場面

 

残念ながら、踊るセンスは彼らには敵わない

大袈裟な感じはまったくなく、何と言うか

自然

僕たちが目指したものは、これだったのだ

元町の高架下の小さなクラブ

月に一度のペースで開かれた RECORD HOP には毎回、足を運んだ

先輩に混じってDJの真似事もさせて頂いたけど

客が10人を超えることはなかったな

この感じは神戸ではなく、京都にもなかった

それが在ったのは大阪だった

 

因みに、日本からは

和田アキ子とシャネルズが同じステージに立っている

もちろん、ずっと後の事

 

Buddy Holly & The Crickets

ギター2人にベースとドラムス

ビッグバンドが主流だった当時

4人でツアーをしていたのは、単にお金がなかったからという理由らしい

が後に、この編成がバンドのオーソドックスなスタイルとなる

クリケッツとはコオロギのこと

バンド名に限らず、ビートルズに与えた影響も大きいね

 

1959年2月3日

ツアーの移動中、彼を乗せたチャーター機が堕ちる

バディ・ホリー 22才

同乗者 リッチー・バレンス 19才

ビッグ・ボッパー 28才

ロックンローラーを一度に3人も失った

‘音楽が死んだ日 The day the music died’ と誰もが言った

そして、映画「アメリカン・グラフィティ」では、

「バディ・ホリーが死んでロックンロールは終わった。」という台詞が登場する

 

 

バディ・ホリーがいなかったら、後のジョン・レノンは存在しなかったんじゃないか?

そんなことを考えたりする。

 

Share Your Thought