CONTINUUM的Camoflage Tee なるものを考えている途中です。

サープラス、ミリタリーウェアが好きで、それは丈夫さと機能を追求した結果として余分なものがない美しさが理由ですが、それを身に纏って歌うジョン・レノンの真似事でもあります。

今はカモフラージュの資料を集めている段階で、どんな風に表現しようかと模索していますが、

『もう「隠れる」或いは「潜む」必要はない。』というメッセージを伝えたいと思っています。

迷彩が剥がれ落ちて、生成り無垢に生まれ変わる「直前」。

そんなTシャツになりそうです。

Cranberriesの作品に”No Need To Argue”という歌がある。

♪ No need to argue anymore / もう言い争う必要はない

恋人同士のことのように歌われるけれど、これはアイルランド独立紛争のことだ。

この歌を聴きながら、カモフラージュTシャツを作ろうって、じわじわ感じだしてきたという訳です。

同じアルバムに収められた”ZOMBIE”も。

1993年、Warrington Bomb Attacks / IRAによる爆撃で重体となった2人の少年について歌ったもので、その内の1人、12歳だったTim Parry少年は脳死状態となり、5日後に母親の承諾を得て、生命維持装置が外された。

 
ここにまた
悲しみにうなだれる人がいる
子どもの命が消えそうだから
あの暴力がこの沈黙を生み出している
みんな何様のつもりなんだ どこかで間違ったんじゃないのか?

だけどほら,そういう目に
自分が遭ったわけでもないし
家族が巻き込まれたわけでもない
今だってあの戦いは続いてる
戦車が走り,爆弾が落ち
爆発や銃撃が起こってる
だけど悲しみの叫び声が聞えてきても
それは想像の世界で起こってることで
実感なんか湧きゃしない

ただ想像の世界の中で
何か叫んでるだけなんだ

所詮,実感なんか湧かないんだよ
だってみんな半分死んでる
「ゾンビ」みたいなものなんだから
その頭で何を考えてる?
心のない「ゾンビ」たち
教えてよ

ここにまた
打ちのめされた母親がいて
こうやって心の傷が引き継がれていく
あの暴力がこの沈黙を生み出してるなら
どこかで間違ってしまったはずだ

あの1916年からずっと
同じテーマの繰り返し
今だってあの戦いは続いてる
戦車が走り,爆弾が落ち
爆発や銃撃が起こってる
だけど犠牲者が出てたって
それは想像の世界で起こってることで
実感なんか湧きゃしない

所詮,実感なんか湧かないんだよ
だってみんな半分死んでる
「ゾンビ」みたいなものなんだから
その頭で何を考えてる?
心のない「ゾンビ」たち
教えてよ

 

岡本の駅前で2日前から、大声を張り上げて、熊本地震の被災者のために募金活動をしている女の子がいます。

たった一人でやっています。

どのくらいの募金が集まったのかは知りませんが、僕が見た限りは全員が素通りです。

挫けずに明日も居たら、声をかけてみようと思う。

先ずは、何処の誰に皆さんのお金を託すのか?

それを明確にすること。それと声だけでなく、誰でもパッと見て分かる文章で文字にすることと。

それに、少しだけ声をトーンダウンすることと。気持ちは分かるけどね。

「直向きな努力は必ず報われる。」などと思わないこと。報われない努力も山ほどある。これは止めておこう。

そのうち経験して強くなるだろうから。

「一人で」というところに、どうやら心を動かされてしまったようです。

 

阿蘇に住む友人の無事は確認でき、ほっとしていますが、まだまだ大きな揺れが続いています。

「地球自給まつり」というイベントを開催する予定だった友人は、「予行演習をすっ飛ばして、いきなり本番やー!」と。

逞しい。

彼なら、周りと団結して乗り切るだろう。

こういったときには、必ず自粛ムードになりますが、

回せる物を回せる者は回していこう。

止まったらだめだ。

それが僕たちの一致した見解のはずだからね。

愛と平和、国民の安全と健康を守る活動は絶やさぬよう。

大したことはできないけれど、九州の地に早く日常が戻りますように。

最後に大切なことを一つ。

中央構造線の真上に建っている川内原子力発電所を即刻停止するように。

こんなときに「その必要はない。」とする政府は気違いとしか言いようがない。

 

 

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