今日は幾つか目的があって京都へ

Tシャツフェアに参加させて頂いているシサム工房の裏寺通り店へ

まだ伺ったことがなかったのでね

ご挨拶も兼ねて

販売期間を1ヶ月延長して頂けることになりましたよ

じっさい9月まではTシャツの季節だしね

1枚でも多く、誰かの元に届けば嬉しいです

今回は在廊ではないので

あまり長居しては販売のお邪魔になるので

次の目的の京都市美術館へ

ルネ・マグリット

サルバドール・ダリなど

シュールレアリスムの画家の作品には好きなものが多い

何故だろう? と改めて言葉にして考えたことはなかったのですが

改めて言葉にして考えた

きっとこういうことだ

時間や空間 或いは常識とされている人の思考

あと何がある?

つまり「制限」しようとする「物と事」

シュールレアリスムの絵画は、それらの枠を取り払ってしまう

マグリットの代表作とされる「上流社会」「空の鳥」「白紙委任状」

もちろん良かった

が、初めて知った裸婦と銃を描いた「生命線」

水平線の手前に浮かぶ薔薇の花とその上の三日月を描いた「美しい言葉」

この二作品が心の中の何かに触れた

何かは分からないし、例によって言葉にしては考えない

「感じ」として受け止める

絵を観る人たちの行動も様々で

音声ガイドを耳に当て、解説を聞きながらの人

順序良く並んで一枚一枚丁寧に観ていく人

彼女と思しき人に「この絵はね、こういう意味でね」って逐一説明をする男

絵を観る感じるは人それぞれだよ

押し付けちゃいけないな

ましてや、今観ているのは「枠」のない絵だよ

それに枠を付けているあなたが、それこそシュールだな

僕はよく美術館へ行くけれど、それほど滞在時間は長くない

好きなアーティストとは言え

全てが好みなわけがない

だいたいは飛ばして観ていく

気になる絵の前では長い

で、またその絵の前に戻って来たり

あまり逆に進む人はいないが

同じ動き方をする人が必ず一人はいる

で、お互い安心する空気感を共有したりもする

滞在時間のほとんどを、この二作品の前で過ごした

ずっと見つめていると

ここが「何処」とか「何時」とかが分からなくなってくる

イメージがどんどん膨張して

最後には宇宙に独り投げ出される

現実に繋ぎ留めてくれる誰かと居るべきだなと思った

美術館を出て、しばらく休憩をして

老舗の某服屋さんをリサーチして帰った

昔のようには、あまりと言うか全く刺激がなかった

その分、自分の目が肥えたのだなぁと思う

それは、少し気持ちの良いことだった

知り合いの八百屋さんは日曜日はお休みのようで

また改めて、平日に京都へ来よう

写真はマグリットの代表作「ゴルコンダ」

 

 

 

 

 

 

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